研修医日記
RESIDENT DIARY
皆さんこんにちは。臨床研修委員長の仲里朝周です。猛暑の中いかがお過ごしでしょうか。本当に暑いですよね。今日は、皆さんの暑さが吹っ飛ぶように私がまだ若い頃に実際に経験した「背筋も凍る恐怖体験」を紹介したいと思います。皆さん、卒倒しないようお気をつけ下さい。
私が大学病院の無菌室に初めて入ったのは初期研修医2年目の時でした。大学病院では医学部6年生の時に血液内科の病棟実習があり、その際に必ず教授回診につくため無菌室も必ず回っているはずなのですが、どういう訳か私は回った記憶がございません(正直に申し上げますと回診をサボりました。○○教授ゴメンナサイ)。なので研修医になって初めて無菌室という存在を知ったのです。当時は無菌室に入れる研修医は選ばれし数名のみでした。私も何故か無菌室に入れる少数精鋭部隊に選ばれてとても嬉しく感じました。しかし、後でわかったことですが知力は全く問われず体力と忍耐力でのみ選ばれていたことを知りちょっぴりショックでした。無菌室に入室する際は毎回パンツ一丁になって清潔なオペ着に着替えなければなりませんでした。採血の検体を提出に行くだけでも一回オペ着を脱いで服を着て検査部に検体を提出に行き、そして無菌室に戻ると再びパンツ一丁になって清潔なオペ着を着なければなりません。用事があるたびに外界に着替えて出なければならず、この「パンツ一丁状態」を1日に10回も20回も繰り返さなければならないんです。なのでこの「パンツ一丁状態」に2ヶ月間耐えられる強靱な精神力(というかむしろ鈍感力)がなければ務まらない激務だったのです。パンツ、パンツとお下品で申し訳ございません。この「パンツ一丁状態」でもたまにはいいこともありました。○○教授でさえも無菌室に入室される際は「パンツ一丁状態」にならなければなりません。たまたま○○教授と更衣室で一緒になった際にはお互い「パンツ一丁状態」で狭い空間を2人きりでシェアすることとなります。研修医にとって最も背筋が凍るシチュエーションなのですが、○○教授は必ず「よう、元気?」と温かいお声をかけて下さいました。しかも私達下々の者と同じ「パンツ一丁状態」というピュアな姿のままで・・・。よく「裸の付き合い」といいますが、「パンツ一丁付き合い」という用語も広辞苑に掲載するべきだと私は強く思いました。ここまでのくだりで「パンツ」という言葉が11回も登場してしまいました。このままでは当院の品位を損ないかねませんので「パンツ」のくだりはここで終了とさせて頂きます。というか背筋も凍る恐怖体験とパンツとは何ら関係はございませんでした。皆さんの貴重な時間を消費してしまい誠に申し訳ございません。
正直に申し上げますと、当時私は血液内科医になりたいなんてこれっぽっちも思っていませんでした。自らの責任ですが学生時代に回診をサボったこともあり血液内科の魅力に接する機会がなかったのです。しかし無菌室で過ごした2か月間で私の医師人生は180度変わりました。大学病院の中でこんなすごい治療をやっているんだ、今までなぜ気付かなかったんだろうととても感銘を受けました。また流暢な英語を話され、いつも風のように颯爽と格好良く現れる○○教授の強烈なカリスマ性にも衝撃を受けました。毎日無菌室に閉じこもり骨髄移植患者さんの事だけに集中し、血液内科の偉大な諸先輩方や看護師の方々と患者さん一人一人の治療方針について夜遅くまでディスカッションするなど本当に充実していました。当時は厳密な無菌管理がされており、患者さんのお部屋には直接入ることができずビニールカーテン越しにしかお話することしかできませんでした。骨髄移植を受ける患者さんはヒックマンカテーテルという前胸部に皮下埋込型カテーテルを留置し、そこに4mの長い点滴ラインをつないでビニールカーテンを超えて室外で点滴を交換するという今ではとても考えられないような厳密な無菌管理をしていました。ただ1週間に1回だけ研修医のみが宇宙服のような感染を防ぐための服を着て患者さんのお部屋に入ることが許されていました。その際にお部屋のお掃除やトイレ掃除も研修医が行っていました。短時間ではありますが患者さんの近くでお話しすることができました。患者さん方は移植の合併症でとてもお辛い状態にもかかわらず、私に「お掃除ありがとう」とお声をかけて下さりとても嬉しく感じたのを今でも覚えています。お辛い状態にもかかわらず感謝をして下さる患者さんのお姿をみて、私は逆に人として大切なことを患者さんから教わりました。この初期研修医時代の無菌室での貴重な経験のおかげで数年後に血液内科医として再び大学病院の無菌室に戻ってくることができました。
いい事ばかり書いていますが、血液内科医として無菌室に帰ってからは今だから言えるような、「えーっ!そんなことしていたの?」といった出来事がたくさんありました。この際ですから貴重な体験を一つだけ紹介させて頂きます。
<背筋も凍る恐怖体験!!!>
とある夏休みに、ある骨髄移植後の患者さんから突然電話がかかってきて東京案内をしてくれと頼まれました。彼は骨髄移植後に地方の大学に通っていたのですが、東京観光をしたことがないから夏休みに是非東京見物したいとのことでした。私もちょうど夏休みで時間があったのと、頼まれて内心嫌な気はしないため「私に任せなさい」と快く返事をしてしまいました。とはいうもののずっと東京で暮らしていながらいざ東京見物となると、実は自分も東京見物なんてしたことがないことに初めて気づきました。でも偉そうに返事をしてしまったため、さも知ったかぶりをしてお台場に繰り出しました。そして一度も行ったことのない東京ジョイポリスにとりあえず行ってみました。男子2人でジョイポリスに行くなんて奇妙な感じですよね。いくつかアトラクションがあったのですが、何を間違えたのか「貞子の部屋」というお化け屋敷に2人で入ってしまいました。読んで字の如くあの「リング」の貞子です。入る前から予想はできていたのですが、期待を裏切らず真っ暗な部屋に古びたテレビがぽつっと一台しらじらしく置いてありました。そしてお決まりのアレです。テレビのスイッチが突然入り画面にはぽつんと井戸が映し出されました。皆さん、もう展開は予想できますよね。白装束に長い黒髪の女性が井戸から這い上がり、ゆっくりと一歩、そしてまた一歩、我々の方に向かってくるではあーりませんか!!!そして画面一杯に貞子が映し出された瞬間、突然本物の貞子がテレビを突き破って飛び出してきたのです!!!予想された展開ですが、逆にヤツはいつ来るんだ?という恐怖心が煽られ2人とも失禁寸前でした。骨髄移植がせっかくうまくいったのにこんな所で心臓発作を起こしてしまっては水の泡になってしまうので一目散で逃げ出しました。彼はまだ移植後GVHD(移植片対宿主病)予防のため免疫抑制剤シクロスポリンを内服していたので、貞子によりGVHDが誘発されたらどうしよう、貞子に対する治療薬はあるんだろうか、ステロイドで貞子は退治できるのか、などと非医学的な事まで心配してしまうほど怖かったです。
背筋も凍る恐怖体験でしたが、今となっては骨髄移植という大変な治療を共に乗り越えた仲閒との大切な想い出となっています。医師人生において多くの貴重な経験をもたらしてくれた移植医療、そして多くの素晴らしい患者さんに対する感謝の気持ちを忘れず、これからも移植医療に精進して行きたいと思います。
因みに今でも東京ジョイポリスで「きっと来る・・・貞子 ~呪い占いの館~」というアトラクションがあるみたいです。皆さんも是非一度、背筋も凍る恐怖体験をしてみて下さい。
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